たまにかたり

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李香蘭って誰??何をした人??本名は?どんな歌を歌っていたの??

こんにちは!!

こんばんは!!

李香蘭ってご存じですか??日本語だとリコウラン、中国語だとリシャンランと読みます。

おじいさんやおばあさん、ひいおじいさんやひいおばあさんから話を聞いたことあるかたもいらっしゃるのではないでしょうか。

 

とは言っても分からないかたがほとんどですよね。なので李香蘭について少しお話ししたいと思います。

 

 

李香蘭って誰?

李香蘭とは戦中から戦後にかけて活躍された女優さんです。

初期から中期は主に満州映画協会(以下、満映)の作品に出演、その後満映を退社し様々な映画会社の映画に出演されました。

 1920年2月12日生まれ、2014年9月7日に94歳で亡くなられました。彼女の人生は「激動の人生」と言われています。そんな李香蘭さんについて少し見ていきたいと思います。

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李香蘭、少女時代

彼女の当時の本名は山口淑子と書いてヤマグチヨシコと読みます。

そんな山口さんの生まれは日本、ではなく中国東北部満州奉天(現在の遼寧省瀋陽)というところです。

しかし生後間もなく同じく中国の撫順(ブジュン)に引っ越しているので今の感覚でいうとここが所謂地元になる。

彼女の両親は二人とも日本人です。お父様は山口文雄さん、お母様はアイさん。ですがお父様の文雄さんが当時の中国語の基準となっていた北京官話を話すことができ彼女が父親から北京官話を教わっていたため、後に日中のバイリンガルとなったのです。

そしてイタリア人オペラ歌手の先生にうたも習っていました。

この先生を紹介したのは彼女の幼馴染みリューバです。

彼女はうたがとてもうまくとても伸びやかな歌声の持ち主でした。

この日中バイリンガルという特技ともよべるものが大きな悲劇を引き起こしてしまいます。この中国語を伸ばそうと淑子の父は淑子を北京へ留学させます。

 

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しかし時は戦時中。ある日淑子は北京の学校である討論会に参加します。議題は「日本軍が北京に攻めてきたらどうする??」というもの。

まわりの中国人は「日本軍と戦います。」「銃をとる!!」「みなで共に敵をうとう!!」という発言。

しかし淑子は日本人。彼女はこう答えました。

「私は・・・私は北京の城壁にたちます。」

こうすることで日本軍、中国軍どちらかの銃弾が当たって真っ先に死ぬだろうと思ったそうです。

 

 

芸能人「李香蘭」誕生

 
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先程ご紹介した通り李香蘭は日本語も中国語も堪能です。

1933年、奉天放送局の新満州歌曲の歌手に抜擢されます。

この「満州新歌曲」とは古くから中国に伝わる民謡や流行歌などをアレンジしたり、新曲を募集するなどして満州の伝統えお音楽的側面でこれからつくっていこうという番組でした。

ここで使用した名前が「李香蘭」です。そしてこの瞬間が正式に中国人歌手李香蘭誕生となってしまったのです。

中国では家族同士が親しくなると義理の血縁関係をむすぶようになります。

これは実際に籍を動かすのではなくお互いの姓を子女が名乗りあうものととらえるべきでしょう。

山口さんも父親が、李さんと仲良くなりそのかたから頂いた名前が「李香蘭」だったのです。

ですがまだこの頃は「李さんから名前を頂いた日本人」という認識です。当時13歳の誕生日でした。

1938年には国策映画会社満州映画協会こと満映に入社しトップスターへの階段をかけ上がります。

中国人トップスターとしての階段ですよ。

 

美人すぎる中国人トップスター李香蘭

満映所属の美人中国人女優李香蘭の人気は瞬く間に上がりました。

長谷川一夫とも「白蘭の歌」「支那の夜」などで共演しており山口百恵さん三浦友和さんのゴールデンコンビのような人気もありました。この二人は結婚こそしませんでしたが。

1941年に東京の日劇で開かれた「歌ふ李香蘭」というコンサートでは日劇の回りを七回半もまわるほどの観客が押し寄せたため、消防隊が出動、散水し観客を移動させたほどです。

その後1943年には「萬世流芳」という中国の映画に出演し中国の民衆からの人気も得ることができました。

このときの挿入歌「売糖歌」は今でも中国国内で歌い継がれるほどの大ヒットとなりました。

 ↓「萬世流芳」の李香蘭
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 そして歌もうまい李香蘭。この時期「サヨンの鐘」「夜来香(イエライシャン)」「夜霧の馬車」などヒット曲を次

李香蘭出演作ってどんな内容なの???

李香蘭は中国人。当時は日中戦争の真っ只中です。

と、なるとだいたいどういう内容か予想つきますよね。

そうです。

日本製作のものは、日本の戦意向上そして中国に対する見下すような目線のもの。

中国製作のものは、中国の過去の戦争を現在(1930年代当時)にみたて当時の敵を日本にみたてる。

ざっくりいうとこんな感じです。

といっても「はい、戦争戦争ーー!!」というものよりも今のラブコメよりの青春ラブラブストーリーという感じが多かったように思えます。表向きはね。

日本側が作った映画「支那の夜」では、長谷川一夫演じる長谷という男性に対して李香蘭演じる坑日の中国人女性、桂蘭が逆らってしまう。実は桂蘭は上海の資産家の娘であった家族は日本軍に殺されてしまった。

そこにあるアクシデントが起こり桂蘭は改心、どころか長谷に恋をする。そして二人は深い仲となり結婚することになった。その後長谷は新婚にも関わらず桂蘭をおいて軍需物資の貿易の仕事に行ったがその先で輸送船が坑日組織の攻撃を受け死亡した。ショックを受けた桂蘭はかつて二人で楽しいときを過ごした蘇州の運河で入水自殺を図る。が、実は長谷は生きており自殺寸前の桂蘭に駆けつけ、二人は運河にかかる橋の上で抱き合う。めでたしめでたし。

 
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支那の夜のワンシーン

という話なのだが、これでは「悪い考えを持った中国を正しい考えを持った日本人が正しい道へ気持ちを向かせ(=恋)最高の形で正しい道を歩ませた(=結婚)中国はそんなふたりの邪魔をしたがやはり長谷はタイミングよく駆けつけ桂蘭を救った(=自爆しそうな中国を日本が持ち直しやったぞ正しい道へふたたび)」という解釈になってしまう。

そもそもそれが狙いでそれが国策というものである。

 

終戦からの逮捕!?なんの罪??今は生きてるの??

1945年、日中戦争終結しました。

ホッとしたのもつかの間李香蘭こと山口淑子さんは中国に逮捕されました。

罪状は漢奸、つまり国家反逆罪です。

皮肉にも戦争中に大ヒット映画「支那の夜」に出演したことが逮捕の決めてとなってしまいました。

「中国人が改心し日本に従い導かれる」という部分が「中国人なのに中国を裏切った」と解釈されました。

いや、そうなんですけどね。思いましたよね。なぜ??日本人じゃんこの人って。

いえ、彼女の中国語はとても上手でもうほぼネイティブでした。

そして名前は李香蘭。役柄も中国人。彼女が中国人であることは一般民衆に限らず当時の映画スタッフや他の俳優仲間も知らなかったのです。今っぽく言うと仕事もプライベートも中国人です。

なのでこの「祖国を裏切った罪」に当てはまってしまいました。

これによる求刑は、死刑でした。

上海競馬場で行われるはずでした。

 

 

助かった!!どうやって日本人と証明できた??さよなら李香蘭

上海競馬場で行われるはずだった李香蘭こと山口淑子さんの処刑。

しかし山口さんは2014年まで生きておられました。そう、助かったのです。

中国人だから罪に問われた。ということは日本人だと証明できればよいのです。

幼馴染みのリューバの協力により人形の洋服に山口さんの戸籍がかかれた紙を隠し署内に持ち込むことに成功しました。それが日本人という証明になり釈放されました。

その後引き上げとしてひっそりと日本に帰国していきました。しかし、彼女は生まれも育ちも仕事も中国。

「さよなら李香蘭」であると同時に「さよなら中国」であった彼女。中国を離れるときは喜びよりも悲しみが大きかったそうです。このときに流れていた曲は偶然にも彼女が歌った「夜来香」でした

日本人であることと同時に無罪釈放が決まった山口さん。

「若かったとはいえ、考えが愚かだったことを認めます。」

と述べ頭を下げて謝罪した。

 

山口淑子さんのその後は??

中国から帰国された山口さん。

日本、中国で芸能人としてご活躍されました。

「暁の脱走」をはじめとしたたくさんの映画に出演されました。

またアメリカに渡りシャリー山口としてハリウッド映画に主演したり、ブロードウェイのミュージカルに主役として出演されました。

その後1958年に女優は引退されますが、1969年に司会者として芸能界復帰され活動されます。

「三時のあなた」というワイドショーの司会をされ、自身の経験もあってか紛争地帯への取材も積極的に行かれていました。

1974年からは政治家としてご活躍されます。1980年、1986年と再選され環境政務次官参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長などを1992年に引退するまで歴任されました。

1993年、勲二等宝冠章を受賞し、政界引退後は「女性のためのアジア平和国民募金」の呼び掛け人のもなった。

 

山口さんの生涯から学ぶことは??

このような人生を送られた山口さん。私たちが学ぶものは多いと思います。

戦争のことといってしまえばそうなのですが、「戦争はなんもかんも奪っていく。」

エンタメだって支配されてしまうんです。今からでもほんの少しだけでいいいのでこのようなことを考えてみたいものですね。

 そんな山口淑子さんの著書「李香蘭 私の半生」には山口さん自身の言葉でより詳しくより深く書かれています。

ぜひ読んでみてくださいアマゾンやセブンネットなどから購入することもできます。

 

そして李香蘭名義の曲を含め様々な曲がCD化しています。

劇団四季の「ミュージカル李香蘭」はもちろん李香蘭山口淑子さんを題材としたものでとても分かりやすくまとまっているので本を読んだり研究するのが苦手な方はもちろんそうでない方にもおすすめです。

 

 

昔アジアでは、日本と中国の間にはこんなことがあったんだ。と頭の片隅にいれていただけたら幸いです!!