たまにかたり

ハロープロジェクトやフェアリーズなどアイドルのこと、その他得ることができた役立つ情報お届けします。

鞘師里保さんについて思う存分語らせていただきます。

モーニング娘。史上最強で最高のエース」というとあなたはだれを思い浮かべますか?
私なら彼女を思い浮かべます。
そう、鞘師里保です。

1998年5月28日生まれの20歳の女の子です。
なぜ今、鞘師里保なのか。
そこも含めて語らせていただきます。

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鞘師里保

なぜ今鞘師里保なのか。

モーニング娘。のファンの方の中には鞘師里保さんが卒業してからモーニング娘。のファンになった方もたくさんいらっしゃると思います。
中には深くは知らないけれども存在くらいは知っていたという方もいらっしゃるかと思います。
でもそんな皆さんの中の共通認識の一つに「鞘師里保は人気メンバーだった。他メンバーと比べ比較的ダンスがうまい」という印象かと思います。

彼女の抜群のダンス力はASHアクターズスクール広島で培ったものです。アクターズスクール広島は広島県内のテレビ局と協力し広島に作られた芸能スクールです。
そこではperfumeやBABYMETALのSU-METALが同じスクールの出身です。
そんな鞘師さんはASHで培ったダンス力を武器にモーニング娘。に加入しました。
当時のモーニング娘。プラチナ期と呼ばれる時期にありましたがダンスも歌もハロプロ感満載でした。そこに鞘師さんが加わったことでガチンコダンスがモーニング娘。の重大要素の一つとなりました。
以降モーニング娘。はフォーメンションダンス路線に進んでいきます。
そんな彼女、2015年にモーニング娘。をたったの五年で卒業しています。そして二年半後を目安に戻るかもしれないと言ったまま。そして二年半たちました。
だからこそ、いま鞘師里保なのです。ここまで来ても人気は途絶えずむしろ上がる一方です。

エース鞘師里保の重圧

鞘師里保に対して「センター」「エース」という言葉がついてくるようになるまでに時間はかかりませんでした。

年齢でいうと13歳。そんな中学1年生の彼女には重すぎたのかもしれません。コンサートやイベントに行く年齢層というのは基本的に彼女よりも年上の人間になります。
となると、彼女が直接会えるファンは年上、スタッフも年上。そんな状況で自分がモーニング娘。のパフォーマンスの顔になる。そこにおけるプレッシャーを感じてしまったのかもしれません。
最初のころはそれこそ大先輩である5期6期メンバー中間管理職でもあり8期メンバーでもある光井愛佳もいました。しかし5期メンバーと光井が卒業、そして田中れいなとツートップでやっていくこととなりました。
このころからグッと大人になった気がします。
そしてついに、田中れいな道重さゆみが卒業。鞘師ひとりにパフォーマンスの責任がのしかかる事態となりました。
事実がどうかは別として鞘師本人がそう感じその気持ちがファンに伝わっていたのも事実です。
モーニング娘。は9期加入後から定期的に武道館公演を行っていましたがそのときにも緊張で点滴を打っていたそうです。
誰もが知っているアイドルグループモーニング娘。のエースというのはだれも想像できないものすごい重圧だということ、私たちファンはモーニング娘。としての彼女を応援することでしかお礼も言えないりほりほを支えることもできない。では私たちは本当にそれができたのでしょうか。ドラマといってしまえばそれまでですがそれ以上にファンにも突き刺さるものがありました。
ただただ楽しく応援するのもそうですがなぜか、先の見えないモーニング娘。電車にみんなで乗り込んでみんなで道を探す。何かあれば乗り越えるメンバーを全力で支える。
みんなで一つの線路を歩む。という感覚さえあったのです。

ひとりほりほ馴れ馴れしいのに向上心

ひとりりほりほという言葉ご存知ですか??あまりいい言葉ではりませんが言ってしまえばひとりのりほりほです。
舞台の稽古中や撮影の待ち時間に一人fでいることが多かった鞘師さん。裏だけならよかったのですがなんとそれが表でも出てしまいます。イベントの舞台でメンバーがキャーーーー!!と言いながら集まるよくある光景ですが彼女はその時もひとり。それをモーニング娘。のスタッフがSNSなどでからかいはじめいつからか「ひとりほりほ」という言葉も生まれてしまいました。
これががっつり表に出てきたのが2015年。道重さゆみさんが卒業し奇跡のまとまりが無くなった時でした。人は一つのコンテンツに向かってまとまる傾向にあります。2014年のころは「道重さゆみモーニング娘。」でしたがそれがひとりほりほになったのではないでしょうか。
彼女自身も遊んでくれるのはうれしい。がやはり誘ってもこないと思われているのか誘われない。と話していました。
アンジュルム勝田里奈さんと遊んだことをとてもうれしそうに話してくれたこと今でもよく覚えています。
そして向上心と好奇心にあふれた鞘師さんはこの時期に外の世界にも興味を持ちはじめたようです。2015年の日本武道館公演での達成感もあり卒業となりました。

今思うこと感じること

失ってしまったものは取り戻せません。それに鞘師さんが幸せに暮らしてくれたらそれで十分です。
いままで私たちにたくさんのものをくれたのですから次は自分のために日々を生きていてほしいです。
ダンスパフォーマンスをはじめたくさんの革命をもたらしてくれた鞘師さん。
彼女のパフォーマンスで何度も救われました。というか存在が救い。
まるで私は鞘師さんを応援するために生まれてきたのだと思ってしまうこの感覚。
できればこれからも踊っていてほしいです♪
でもまずは好きなことをやっていくのが一番ですね!!!!